三浦一之さん(紙漉き職人編)

三浦一之さん(紙漉き職人編)

氏名 三浦一之
年齢 65歳
職業 紙漉き職人
家族構成 独身
前居住地 埼玉県
(出身地:秋田県)
移住前の職業 会社員
移住年 1993年
現居住地 西川町大井沢

ー移住までの経緯・概要
1986年、35歳の時、約17年間のサラリーマン生活にピリオドを打ち、和紙の世界に飛び込む。埼玉県小川町での約7年間の修行を経て、1993年西川町に移住。移住後、数年間は西川町の自然と匠の伝承館にて紙漉きを行う。その後、自宅兼工房の「大井沢工房さんぽ」にて月山和紙を漉いている。

ー移住のきっかけ
サラリーマン時代、私は旅行が好きだったので、和紙が好きな会社の同僚と和紙の産地巡りをしていました。初めは、和紙に興味はありませんでしたが、元々モノづくりが好きだったこともあり、体験で和紙を漉かせてもらううちに徐々に興味が湧いてきたんです。それで東京にある和紙の専門店に話を聞きに行くようになりました。
実際に和紙の世界に飛び込んだのは、35歳の時でしたが、30歳の時、脱サラして紙漉き職人になりたいと周りに相談したことがあったんです。でも、周りからは猛反対されましたね。「絶対に食べていけないから辞めた方が良い」って。一時は思い留まりましたけど、サラリーマンなら誰しも今の仕事を続けるべきか悩む時がありますよね?私も長い間悩んだ結果、やっぱり自分の好きなことを仕事にしたいという思いが捨てられず、紙漉き職人の道を選びました。
脱サラした私は、紙漉きの技術を学ぶため、全国有数の和紙産地である埼玉県小川町で7年間修業をし、紙漉き職人として独立に向け準備を進めました。

ー西川町を選んだ理由
修行を始めて5年目くらいですかね…「独立して自分が目指す和紙作りをしたい!」と思ったのは。やはり一番は、小川町で独立したかったんです。でも、その当時の小川町は紙漉き職人が沢山いたので、独立したいならどうぞというスタンスでした。ある程度の支援が無ければ、独立は難しいですからね。そんな時(平成元年)、西川町で自然と匠の伝承館が完成し、紙漉き職人を探しているという話しを知人のつてで知ったんです。当時の町担当者が、わざわざ埼玉まで尋ねて来て町の概況や行政支援等について説明してくれました。
実際に西川町を訪れてみると、朝日連峰や月山、清流寒河江川がある自然豊かな環境は、紙漉きをするには理想的な場所でした。特に大井沢の自然環境に心惹かれた私は、西川町に移住することを決めました。もともと秋田県出身なので、雪への抵抗も無かったですし、やはり東北の人間は東北に帰りたいというDNAがあるのでしょうね。


ー西川町での生活はどうだったか?
西川町に移住した当初は、自然の匠と伝承館で和紙製造をしていました。町とは和紙製造に必要な機械は揃えるが、生活支援は一切しないことが約束だったんです。今は様々な起業支援制度があり、恵まれていますよね。やはり、起業後の数年は収入も安定しないですし、貯金を切り崩しながらの生活でした。だからと言って、西川町のここがダメとか出ていきたいという思いはありません。人間なので、どのような生活をしていても何かしたら不満はあると思いますから。

ーこれからやってみたいこと
大井沢を和紙の里にすること。今は自然と匠の伝承館も空いているし、私の工房もあるので和紙作りに必要な機械は揃っています。また、自宅兼工房の近くに和紙のお店を一軒構えています。そこには台所やお風呂場もあるので、紙漉きをやりたい人が居ればそこに住み込みながら和紙作りを学ぶができます。技術指導も含め可能な限り支援はするので、和紙職人を増やしたいですね。

ー移住希望者へのメッセージ
移住先に過度の期待をしても駄目ですよ。西川町は店も少ないし、交通の便も悪い、都会に比べれば決して便利な生活ではない。ただその一方で自然環境は本当に素晴らしいものがある!この環境で和紙漉きが出来ることが私にとってとても魅力的でした。要は、移住先で自分は何をしたいのかということ。それに尽きると思います。
それと、近所付き合いをしっかりすること。隣近所と仲良くなろうという気持ちがあれば、周りから声を掛けてくれるようになります。西川町に限らず、近所の助けがなければ田舎では生活が成り立ちませんからね。
(2016年7月取材)